おたまちゃんとたつながさまの活動日記2015年11月

公開日 2015年11月09日

更新日 2015年11月09日

2015年11月

11月9日月曜日

たつながさまの顔こんにちは。たつながだよ。

11月号の広報たまむらのタイムスリップのコーナーは読んでくれたかな?

 第8幕は江戸時代編(2)の浅間山の大噴火をご紹介しました。

今回はこのときの噴火の様子をもう少しくわしく解説するね。

 

玉村町に残る文書によると、

天明三年(1783)旧暦六月末より浅間山震動し、焼砂が大いに降ったが、七月五日は夜中に五分程の厚さに降り積もった。特に六日の夜は六時頃よりおびただしく降り出し、夜中も「震動大鳴」。翌七日は昼も闇夜のように降り続き、夜も大いに降り、八日の昼十時過ぎまで降った。砂の厚さは二寸七分余りで、一坪で計ると一石五寸三升余りもあった。田畑にも五、六寸積り、作物は一切砂に埋まったが、この間雨は少しもなかった。八日になると、午後二時頃利根川は石や泥の水が流れ来たり、大石が焼けながら押し下り、煙さえ立ちのぼって陸まで押し上った。このため当玉村宿や五料宿、矢川の通路も止まり、日光街道・三国街道は往来止めとなった。

 1寸=約3.03cm  1分=約3.03mm

米一石=10斗=約150kg

 また、ほかの文書では、

七月八日、近隣では各自かねや太鼓・ほら貝を吹き警報し合い、寺では大念仏を唱えて災難除けを祈った。午後一時と思われる時分、やっと砂・石は降りやんだが、今度は利根川の上手(かみて)で何か鳴り響く物音が聞こえ、大風が噴き出すように空もかげったと思ったら、川水が濁って来て、家や木材が一面に流れてきた。泥水や火の石が家にまで侵入し、家財道具や馬などを押し潰した。

 という記録も残っているよ。

この泥流のため五料の関所も甚大な被害を受けてしまい、利根川の通船往来が再び始まるのは十一月二十四日のことなんだよ。

参考:玉村町のあれこれ(上)

この記事に関するお問い合わせ

生涯学習課 文化財係
住所:〒370-1105 群馬県佐波郡玉村町大字福島325
TEL:0270-30-6180
FAX:0270-30-6183