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町重要文化財

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年10月14日更新

五丁目屋台・六丁目屋台(ごちょうめやたい・ろくちょうめやたい:下新田)
町重要文化財

 五丁目・六丁目とも、祇園祭に使用する屋台の他に、玉村八幡宮の大祭に使用した屋台を持っています。五丁目の屋台は安政5年(1858)に建造され、それは越後の大工と埼玉県吹上の彫物師による彫刻といわれています。規模は平面2m44cm8mm×4m22cm9mm、棟高4m53cm8mm、床高1m54cm5mm、車輪直径1m10cmの総欅造です。前方左右の柱にそれぞれ昇り龍(右柱)、降り龍(左柱)が彫られている移動大舞台です。また、六丁目屋台は五丁目屋台の一年後に作られました。六丁目屋台の規模は平面2m44cm8mm×4m23cm2mm、棟高4m52cm、床高1m62cm3mm、車輪直径1m10cmで構造、形式とも五丁目屋台と同じです。作った大工、彫物師も五丁目と同一と推測されます。

五丁目屋台
五丁目屋台

六丁目屋台
六丁目屋台

観照寺阿弥陀板碑(かんしょうじあみだいたび:上之手)
町重要文化財

 この3基は緑泥片岩でつくられており、死者の冥福、死後の安穏祈願の板碑です。13世紀から14世紀のもので、特に写真中央の弘長2年(1262)の板碑は、整形板碑では群馬県で最も古いものの一つで、高さ128cm、幅40cm、厚さ5cmです。向かって写真右の板碑は弘安7年(1284)のもので、高さ85cm、幅36cm、厚さ4cmです。向かって写真左の板碑は文和2年(1353)のもので、高さ97cm5mm、幅34cm、厚さ3cmです。

観照寺阿弥陀板碑
上之手の観照寺阿弥陀板碑

千輝玉斎作 豊年満作之図(ちぎらぎょくさいさく ほうねんまんさくのず)
         橋上人物百態図(きょうじょうじんぶつひゃくたいず)
町重要文化財

 千輝玉斎(1790~1872)は現在の中之条町出身とされ、幕末玉村宿の旅籠萬屋(千輝家)に婿入りしました。幼い頃から絵画を好み人々を驚かせたといわれ、稼業に余裕ができるとともに画道に励んで玉村随一の文人画家となりました。玉斎は特に人物・花鳥画を得意とし、そのタッチは葛飾北斎を彷彿させるものであり、現在も玉村町や出身地の中之条町には玉斎の佳作(屏風・掛軸等)が多く残されています。この二作品は、玉斎の代表作であるとともに、当時の民俗・風俗が巧みに描かれた民俗学的にも貴重な資料です。

豊年満作之図

 稲作の過程を基本に農作業の様子や周辺の風景が巧みに描かれています。制作年代は第4面の秋祭りの場面で神社に立てられた幟旗に「萬延元申 鎮守御祭禮 村中氏子中」とあり、最後に「豊年満作之図庚申晩秋上澣日写之  印」とあることから、万延元年(1860)に描かれたと考えられます。

豊年満作4豊年満作3豊年満作2豊年満作1
4面3面2面1面

橋上人物百態図

 琵琶湖畔瀬田唐橋を思わせる構図で、遠景の湖上には多数の舟が見え、橋上一杯に百人ほどの士農工商の人物群像が巧みに描かれています。制作年はありませんが、顔料等から幕末から明治初年に描かれたものと考えられます。

橋上人物4橋上人物3橋上人物2橋上人物1
4面3面2面1面

文安銘五輪塔(ぶんあんめいごりんとう:南玉)
町重要文化財

 南玉の原家の墓碑群のなかに、二つの墓が寄り添うようにたっています。これは室町時代の夫婦のものと思われる墓で、夫は文安5年(1448)、妻は文安6年(1449)と刻まれています。

 この時代、関東では断続的な戦乱が続き、玉村近辺でも康正2年(1456)に戦闘が行われた記録が残っており、平和とはほど遠い時代でした。

文安銘五輪塔
南玉の文安銘五輪塔

脇差(藤枝太郎英義作)(わきざし(ふじえだたろうてるよしさく):町歴史資料館受託)
町重要文化財

 藤枝太郎英義は文政6年(1823)、玉鱗子英一(ぎょくりんしてるかつ)の長男として川井に生まれました。英義は父のもとで修行し、その後、細川正義に学び、川越藩の刀鍛冶として幕末に活躍した人物です。町重要文化財に指定されたこの脇指は、長さ37cm2mm、反りは1cm2mm、目くぎ穴は一つで、英義最晩年(明治6年)のものであり、地元で作られたと考えられる大変貴重な作品です。

脇差
脇指(太刀作り)

人物埴輪「帽子をかぶる男子、坏を捧げ持つ女子」(じんぶつはにわ「ぼうしをかぶるだんし、つきをささげもつじょし」:町歴史資料館受託)
町重要文化財

 この2体の埴輪は、八幡原古墳群から出土しました。埴輪祭祀の一場面を司るものと考えられます。作られたのは6世紀中頃で、玉村町にある人物埴輪のなかでは、たいへん残りが良く、作りが丁寧で、埴輪の目の開け方が特殊です。

 「帽子をかぶる男子」はつば付きの帽子をかぶり、大刀を身につけた半身像で、顔・胸に赤彩が施されています。「坏を捧げ持つ女子」は腕を前に差し出し、坏を持つ半身像で、顔に赤彩が施されています。

人物埴輪
「帽子をかぶる男子」「坏を捧げ持つ女子」

玉村八幡宮の建造物(拝殿・幣殿、隨神門、神楽殿)
町重要文化財

玉村八幡宮拝殿・幣殿 1棟、附(つけたり) 棟札(むなふだ)2枚(延享4年<1747>・慶応3年<1867>)

玉村八幡宮隨神門  1棟、附 棟札2枚(文化15年<1818>・慶応元年<1865>)

附 隨神門大修繕略記1枚(明治33年<1900>)

玉村八幡宮神楽殿  1棟

なお、これらの建造物に関わるものとして 附 棟札2枚(明治10年<1877>)

拝殿・幣殿、隨神門、神楽殿は国の重要文化財に指定されている本殿と共に旧日光例幣使道の旧玉村宿においても景観上の高い価値があります。これらの建物は江戸時代に建立され、維持管理されてきたものです。

拝殿・幣殿

共に同時期の18世紀初期に建築されたと推定され、本殿と接続し一体の建物になっていることから歴史的価値が高い。

拝殿 拝殿

拝殿内部 拝殿内部

幣殿内部 幣殿内部

 

隨神門

慶応元年(1865)の上棟であり、歴史的価値の高いものである。彫刻など幕末の様相が著しくであり流派的または地方的特色において著しくなものである。

隨神門

神楽殿

19世紀初期頃の建築と推定され歴史的価値が高く、また現在でも4月15日の春季例祭(太々講祭典)で神楽が舞われ、古くより町民に親しまれるとともに活用が図られている。

神楽殿(春季例祭の様子) 春季例祭の様子