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古墳時代

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年9月29日更新

古墳

豪族の墓

 高度な技術と統率力を持った豪族は、ムラの開発と統合を進めました。ムラの首長であり司祭者でもあった豪族の、権威の象徴として古墳は造られました。

 群馬県では4世紀末から7世紀末までの間に、1万基以上の古墳が造られています。玉村町でも河川に沿った地域を中心に、143基の古墳が確認されていますが、中には古墳の形態や副葬品などから、国土の統一を進めていた当時の大和政権とのつながりがうかがえるものもあります。川井稲荷山古墳(玉村町川井)出土の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)や、軍配山古墳(玉村町角渕)出土の内行花文鏡(ないこうかもんきょう)などはその一例といえます。

小泉大塚越遺跡3号古墳

(玉村町飯倉)

 玉村町の古墳は、八幡原・宇貫・角渕・下茂木・川井・小泉・箱石など河川沿いの地域を中心に分布しています。平成元年、芝根小学校建設にともなう調査で、新たに5基の古墳が発見されました。 その一つである小泉大塚越遺跡3号古墳は、6世紀後半の前方後円墳で、濠(ほり)を含めた全長は72mです。角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)を使った横穴式石室からは、冠の破片とみられる金銅製品や耳環(じかん)、環頭大刀(かんとうたち)や馬具類などの副葬品が出土しました。二段に造られた墳丘の上段には、盛土(もりつち)の流出を防ぐための葺石(ふきいし)がよく残っています。上段と下段の間は、356本の円筒埴輪(えんとうはにわ)が一周し、前方部からは人物・馬などの形象埴輪(けいしょうはにわ)が出土しました。調査後、石室は土中で保存され、現在遺跡の説明板が立てられ小学校の敷地内にあります。

須恵器
須恵器

環頭大刀
環頭大刀

耳環
耳環

形象埴輪盾持人
形象埴輪盾持人

石室遺物出土状態
石室遺物出土状態

古墳全景
古墳全景

人面付円筒埴輪

玉村町小泉(古墳時代後期6世紀中頃)川井箱石遺跡・小泉大塚越7号古墳

 平成9年度の発掘調査によって出土しました。古墳時代6世紀中頃のものです。

 顔と頭部を表現しているだけで、手などはありません。上部の4つの突起は、かぶり物を表し、耳には耳環が着けられていたものと考えられます。切れ長の目、鼻筋がとおったその顔立ちからは、若さと威厳が感じられます。群馬県内外でも非常に珍しいものですが、とくに全体像がわかるのは本資料だけです。

人面付円筒埴輪

日本最大級の馬形埴輪

 平成3年度の発掘調査によって出土しました。古墳時代6世紀後半のものと推定されます。発掘された破片はわずかに13個でしたが、復元してみるとふつうの馬形埴輪の約2倍、高さ約150cm、長さ約120cmという日本で最大級の大きさであることや、これまでにない特殊な装備をしていることがわかりました。

 馬形埴輪はこれまで、鞍(くら)や鐙(あぶみ)と2本の手綱がつき、馬鐸(ばたく)や杏葉(ぎょうよう)など装飾性の強い馬具で飾られた乗馬用の「飾り馬」と、1本手綱で鞍などいっさいつけない使役用の「裸馬」の2種類に分類されてきました。1本手綱で鞍がなく、格子状の革帯をつけ、馬鐸や馬鈴などで飾られたこの馬形埴輪は、第3のタイプの馬形埴輪として、古墳時代の文化や社会を解明する新しい研究材料となっています。

日本最大級の馬形埴輪

玉村町指定重要文化財

人物埴輪(男子・女子)玉村町八幡原(古墳時代後期6世紀後半)個人寄託

 埴輪が出土した八幡原地区は、町の南をほぼ東西方向に流れる烏川の左岸に位置しています。この地は高崎市から玉村町にかけての井野川・烏川沿いに古墳が群集している地域であり、高崎市では若宮八幡北古墳に代表される若宮古墳群、玉村町では八幡原古墳群と呼称されています。しかしながら、若宮・八幡原古墳群においての埴輪については下郷遺跡や若宮八幡北古墳などで報告されている以外は、古墳群としてはさほど多くの埴輪資料の提示はされていない地域でもあります。

 この2体の埴輪の特徴としては次の3点があげられます。第1に裾部の成形や目の穿孔(せんこう)・内面の指ナデに共通性があり、工人の「癖」であると考えられることから、同一工人によるものと推測されます。第2に目の穿孔方法が、内面側が広く切り取られており、意識的に行っていたと考えられます。これには、目をシャ-プにするため視覚的効果があったと思われます。第3に埴輪の胎土に結晶片岩が混入し、また一部のものに海綿骨針が確認されたことから、烏川流域や藤岡市域で制作されたことがうかがえます。

玉村町指定重要文化財 人物埴輪(男子・女子)