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縄文・弥生・古墳時代

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年9月30日更新

未開の地

縄文・弥生時代の玉村町

 今から2000年前頃まで続いた縄文時代は、狩猟や採集が生活の中心でした。縄文式土器の文様(もんよう)は、自然への感謝やおそれの心を表したものともいわれています。稲作がはじまる弥生時代には、新しい技術とともに人々の生活はさらに進歩します。弥生式土器は、薄くてかたく、用途に応じた使いやすい形になりました。

 このころの玉村町は湿原のような状態で生活に適した環境ではなかったため、縄文・弥生時代の遺跡はわずかしか確認されていません。しかし、そこで発見された土器片や石器類は、周辺の集落の人々がこの地で生活しようと試みた証拠なのかもしれません。

ムラづくり

 玉村町が開発され始めたのは4世紀初め前後で、水田耕作のための水路が造られました。4世紀後半には前橋市から玉村町に渡って農業用水路が掘削され、大規模な水田開発が行われたことがわかってきました。

 また、その頃の住居や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)などの遺跡が町内では数多く発見されています。方形周溝墓は、一辺が10mほどの溝に囲まれた墓で、壺(つぼ)や甕(かめ)なども出土します。赤城遺跡(玉村町宇貫)では、4世紀後半のものと思われる方形周溝墓が12基確認されました。前橋天神山古墳のような大規模古墳が築造できる経済基盤が玉村周辺では整っていたことになります。

4世紀後半から5世紀の用水路(砂町遺跡)玉村町福島
4世紀後半~5世紀の用水路(砂町遺跡)玉村町上福島

石製模造品(松原3遺跡)玉村町樋越
石製模造品(松原3遺跡)玉村町樋越

土師器焼成抗(天神巡り3遺跡)玉村町角渕
土師器焼成坑(天神巡り3遺跡)玉村町角渕

方形周溝墓群(赤城遺跡)玉村町宇貫
方形周溝墓群(赤城遺跡)玉村町宇貫